スタンリー・キューブリック

 

キューブリックは 1950年代前半〜1999年にかけて
活動をしていました。


その圧倒的な映像美で 代表的な作品でいうと
「2001年宇宙の旅」
「時計じかけのオレンジ」
「シャイニング」
その他を世に送り込んだ天才映画監督です。


またその撮影手法も新しく革新的なものを
取り入れた発明家のような
芸術家でもあると言えます。

その作品、撮影に対するこだわりは
ものすごかったようで、
資料を元に様々なエピソードなども
ご紹介できたらなと思っています。

   

◆幼少期から映画監督になるまで

1928年7月26日に医師であるユダヤ人の
両親の息子としてニューヨークで生まれました。

小学生時代のスタンリー
出席率が悪かったようだ。

8歳のスタンリーは学校生活に
適応できなかった為、
自宅で勉強するようになった。

小学校時代後半は学校にも
いけるようになったようだが
学校側の評価では社会性がないと
評価されていたようです。

社会生活に適応できなかったスタンリー
が外の世界に興味を持ってもらいたいと
自分が使っていたグラフレッックスカメラを使って
みるよう勧めたといいます。
彼は写真にどんどん夢中になっていく。。。

高校時代もスタンリーは決して
グループに加わろうとはせず一人を好みました。

この時期、彼は学校にはあまり
行かず映画館に通い詰めた。
週8本の映画を毎週、
見に行っていたということです。

 

スタンリーはこの時期から 映画を分析していました。

後のインタビューでこう語っていました。

この作品よりも僕の方がましな
作品を作れると確信を持っていた。
実ははるかに良いものを
作れるとさえ思っていたました。
スタンリーキューブリック

 

また高校時代よりカメラマン としての才能を発揮し
ルック誌 に写真を掲載される腕前になっていました。


彼は自分の人生を切り開く為にルック誌に
目をつけていた。

高等教育で学ぶことができなかった
彼は独学の道を大きく開いていきました。

その後ルック誌でカメラマン助手として
4年ほど働いたことが映画製作者
転向するきっかけとなったと語っている。


スタンリーはカメラマンの仕事に満足はせず

くだらないものばかりだった。

とまで語っています。

スタンリーは映画を作るという野望が
日に日に増していきました。


スタンリーはハリウッド映画から
芸術映画への 興味を持つようなっていく。

そして友人の1951年 年齢でいうと23歳?の時に
映画監督シンガー「試合の日」
という 短編映画を実費で作る。


この映画でキューブリックは一人で
監督、カメラマン、
編集、編集助手、音響のすべてをこなしました。

この映画の制作費は3900ドルかかったが、
結果的に試合の日は4000ドルで売れ
100ドルの利益を得ました。
この成功をキッカケにキューブリック
はルック誌を退社します。


キューブリックは映画監督として
成功だけを考え生活が安定しない
時期はチェスで収入を得ていました。


また映画を作りながら、 キューブリックはどんどん
撮影技術を自分の学んでいった。


その後、彼は紆余曲折ありながら ハリウッドへ進出する。

ニューヨーク時代

1951年 試合の日 空飛ぶ牧師 1952年 恐怖と欲望
※長編劇映画デビュー作 海の旅人たち 1955年 非情の罠

ハリウッド時代

1956年 現金に体を張れ 1957年 突撃 1960年 スパルタカス

イングランド時代

1962年 ロリータ 1964年 博士の異常な愛情


キューブリックは どんどん評価を得ていくが
ハリウッド産業への考え方が嫌になり イギリスで住むようになる。

 

1968年 2001年宇宙の旅


こちらはキューブリックの代表作のひとつで
この映画の影響を公言している
有名人も多数います。

またこの撮影の時期から
いわゆるキューブリックのトレードマーク?の
髭もじゃの風貌になりました。


今でこそ宇宙の映像などは当たり 前に思うかもしれませんが、
1960年代にこの映像を撮っていると 考えてみてください。

ものすごい衝撃的な映像だったと思います。

初のパソコンが1975年と 考えるとすごいですよね。
また本作は冒頭から25分近く、 全くセリフがありません。

CGが使えなかった当時、 この映像を撮影するために。
キューブリックは2億7000万円かけて 直径10mの回転するセットを制作しました。


1971年 時計じかけのオレンジ

こちらもキューブリックの代表作です。 近未来のロンドンが舞台です。

内容としてはかなり 過激な作品の為、
上映禁止の国まであった 作品なのですが。


その内容とは反対に ものすごいポップな色合いを
つかった斬新なファッションが
ものすごく印象的な作品です。


今、見ても古さを感じさせないのが キューブリックの凄さです。

1975年 バリー・リンドン

近未来が舞台の上記2作品とは違い
18世紀のヨーロッパが舞台の作品。

とにかく 映像が綺麗な作品なのですが
キューブリックはこの作品では
18世紀の世界観を表現するために 屋外では自然光
室内はろうそくの光のみ を使った作品。



すべての映像を静止画で見てください。
まるで中世を舞台にした絵画なのです。


撮影を経験した方なら わかるかもしれませんが
照明というのは非常に大切です。


キューブリックは、
ろうそくのみを使った
屋内の光の質感を出すために
世界に10個しかない NASAのF0.7を使いました。


NASAが6つが、キューブリックが3つ、
1つはドイツのカールツァイスが 所持したという話です。
細部にわたって工夫し、こだわります。

映画の内容として、変化も少なく、
三時間は退屈だという意見も多く、
いわんとしていることはわかりますが、、、笑


別の角度から考えて観ると
キューブリックの すさまじいこだわり
を感じる作品です。


ぜひこれを知ったうえで観てみてください。
眠くなるかもしれませんが。笑


1980年 シャイニング

こちらも誰もが認める キューブリックの代表作でしょう。
シャイニングは映画ジャンルとしては ホラー映画になるのかと思います。

ジャックニコルソン演じる トランスが
いわくつきのホテルの管理人の
仕事を志願する ことからはじまります。


トランスは次第に狂っていき 自分の家族を襲っていくと いうような内容の映画です。

こちらも全体をを通して 美しい映像の作品です。


リテイクが多い事で有名な キューブリックですが
このシャイニングでは 有名なエピソードがあります。


69歳で料理長役を演じた スキャットマン
キッチンでの会話シーンに148テイク


ジャックニコルソン
の 2秒のシーンの為に
2週間をかけ190テイク


妻役のシェリー・デュヴァル
にいたっては撮影期間である35週間
キューブリックは彼女に 撮影面だけでなく、
彼女の演技をわざと皆の前でけなし、
撮影スタッフにも冷たくする ように指示しました。
彼女は本当に撮影期間、
追い詰められたといいます。

すべて本作で彼女が 精神的に追い込まれて
壊れていく映像を撮るためです。 鬼です。。。笑


1987年 フルメタル・ジャケット

ベトナム戦争を題材にした作品で。
アメリカ海兵隊に志願した青年たちの
厳しい訓練シーンからはじめります。
青年たちの訓練の厳しさ、 極限の心理状況が 伝わってきます。

ハートマン軍曹役を演じた R・リー・アーメイは
本物の元海兵隊員で実際
ベトナム戦争には新兵訓練係の
軍曹となった方です。

ハートマン軍曹は ものすごい汚い罵詈雑言を
青年兵士に投げかけます。
これが本物の迫力なんだな というすごみです。


この映画の、ほとんどが実際に
現実に起こっていた 生生しいベトナム戦争の
体験だということです。

余談ですが この訓練シーンは日本CMでも パロディ化されています。笑

 

1999年 アイズ ワイド シャット

こちらがキューブリックの 最期の作品になります。

主演はトム・クルーズ 妻役はニコールキッドマン

撮影当時、二人は本当の夫婦でありました。
2001年に二人は離婚してしまいますが。

本作の舞台はニューヨークなのですが、
ほとんどの撮影をイギリスでおこなった。
※キューブリックは自身のトラウマ で極度に飛行機を嫌ったため

本作は撮影期間が400日となり世界最長の ギネス記録に認定されたようです。
映画の内容は、とある夫婦の2日間におきた 不思議な出来事の話なのですが。。。笑

映画としては非常に性的描写も多く 苦手という人もいるかもしれません。
ですが何とも言えない 不思議な世界観の作品なのです。


キューブリック
は試写会の 5日後に急死しました。


キューブリックには自身の企画で あったA.I.という作品があった。

キューブリックは生前、友人のスピルバーグに
A.I.についての打ち合わせを行っていました。

ですが、キューブリックが急死したため、
キューブリックの親族の意向もあり スピルバーグが監督をすることなりました。

いかがだったでしょうか キューブリックの 映画に対するこだわり 妥協のない撮影

正直、一緒に動いたスタッフは 本当に大変だったと思いますが。。。


今の時代こんなことしたらパワハラ だなんだって騒がれて作品 作れないかもしれませんよね。

ぜひ、キューブリック作品 観たことがない方は チェクしてみてください!

2020/03  唐沢