ハービー・ハンコック ポシビリティーズ

ハービー・ハンコック ポシビリティーズ

ハービー・ハンコック ポシビリティーズ

今回はドキュメンタリー映画を
見た感想を書きたいと思います。

すばらしいドキュメンタリーでした。

とにかく参加ミュージシャンが豪華!!笑

出演アーティスト/ミュージシャン

Christina Aguilera クリスティーナ・アギレラ
Trey Anastasio トレイ・アナスタシオ
Cyro Baptista サイロ・バプティスタ
Michael Bearden マイケル・ベアデン
Teddy Campbell テディ・キャンベル
Terri Lyne Carrington テリ・リン・キャリントン
Dennis Chambers デニス・チェンバース
Paula Cole ポーラ・コール
Brian Eno ブライアン・イーノ
Nathan East ネーザン・イースト
Shane Fitzsimons シェーン・フィッツシモンズ
Kenny Garrett ケニー・ギャレット
Gina Gershon ジーナ・ガーション
Jamey Haddad ジェイミー・ハダッド
Lisa Hannigan リサ・ハニガン
Roy Hargrove ロイ・ハーグローブ
James Harrah ジェームス・ハラー
Steve Jordan スティーブ・ジョーダン
Angelique Kidjo (Angeのe上に’) アンジェリーク・キジョー
Jonny Lang ジョニー・ラング
Annie Lennox アニー・レノックス
Pete Lewinson ピート・レウィンソン
Steve Lewinson スティーブ・レウィンソン
Vyvienne Long ヴィヴィアン・ロング
Lionel Loueke リオーネル・ルエケ
John Mayer ジョン・メイヤー
Reggie McBride レジー・マクブライド
Raul Midon (dの上に’) ラウル・ミドン
Marcus Miller マーカス・ミラー
Pino Paladino ピノ・パラディーノ
John Patitucci ジョン・パティトゥッチ
Karl Parazzo カール・ペラッツォ
Greg Phillinganes グレッグ・フィリンゲインズ
Raul Rekow ラウル・リコウ
Tony Remy トニー・レミー
Damien Rice ダミアン・ライス
Benny Rietveld ベニー・リートヴェルド
John Robinson ジョン・ロビンソン
Carlos Santana カルロス・サンタナ
Wayne Shorter ウェイン・ショーター
Paul Simon ポール・サイモン
Sting スティング
Joss Stone ジョス・ストーン
Chester Thompson チェスター・トンプソン
Tomo トモ
Willie Weeks ウィリー・ウィークス

 

という錚々たる顔ぶれです。
マイルスデイビスとの貴重な
エピソードも入っておりました。

ハービーは前衛的、実験要素を含んだ
方向へどんどん進んでいく。。。
そして現在も新化に挑戦しているハービーの
姿勢がすごく見ていて刺激になりました。

ハービーハンコック

とりあえずハービーハンコックって
どんな人なのかというところを簡単に

1940年4月12日生まれの(79歳現在)

7歳でピアノレッスンをはじめる。
11歳でシカゴ交響楽団と共演。
高校時代にジャズを演奏し始める。
グリネル大学では、
音楽と電子工学の両分野で博士号を取得。
その後もニューヨークのクラブや
スタジオ・シーンで名を馳せる。

とまあ、博士号をふたつ取得している
時点ですごいですね。

そこから

1960年にドナルド・バードに見出されると、
その彼のクインテットで
プロとしてのスタートを切る。

その後、2年間のセッションマン
として実績を重ね、
21歳になった1962年に
『テイキン・オフ』でデビュー。

この中に収録された
「ウォーターメロン・マン」
は大ヒットとなり、
この作品でハンコックは
ブルーノート新主流派の
中心アーティストにのし上がった。

1963年、マイルス・デイヴィスの
グループに抜擢され、
1968年頃まで在籍する。

ハービーハンコックとマイルスデイビス

脱退後もマイルス・デイヴィスの
セッションに随時参加し、
マイルスのいくつかのアルバムに
その足跡を残している。
また、この頃自己のアルバムとして
彼の代表作『処女航海』(1965年)や
『スピーク・ライク・ア・チャイルド』(1968年)
を発表した。

1969年にはブルーノートを離れ、
ワーナー・ブラザース・レコードに移籍。

『Fat Albert Rotunda』では同時期のマイルスと
同様に大胆にエレクトリックサウンドを取り入れた。
次作『Mwandishi』では更にアフリカの民族音楽、
ポリリズムに傾倒し、
自らもスワヒリ語名でアルバムタイトル同様の
『ムワンディシ』というニックネームを名乗る。

1972年にはコロムビア・レコードに移籍。
1973年に問題作
『ヘッド・ハンターズ』を発表。
本作は従来のジャズファンの枠を
超えて反響を
呼び記録的に売上げるとともに
大きな名声を獲得したが、
当時のジャズファンからは、
ハービーも堕落したなど
非難を受けることもあった。

エレクトリックピアノ/キーボード
を専ら弾く彼に対する
「もうアコースティック・ピアノは弾けないんだろう」
との野次に対し、舞台上でピアノを
用意させて演奏を披露、
観客を納得させるなどという
出来事もあった。

とまあ、新しいことに
ガンガン挑戦する人なんです。

1983年の「フューチャー・ショック」では、
ヒップ・ホップを大胆に導入。
DJスクラッチを取り入れたスタイルは
クラブ・ミュージックの方向性を決定付けた。
スクラッチを取り入れた
「Rockit」が世界中で大ブレイク。

グラミーの授賞式での「Rockit」
のパフォーマンスをTVでスクラッチを披露。
これをテレビでみていた当時の
キッズ達はすごい衝撃だったようです。
スクラッチが本格的に広まったのはこの
パフォーマンスからといわれているようです。

 

すごいですよね。
知ってましたか?
スクラッチはハービーハンコックから始まった
といっても過言ではないのです。

ハービーが様々なミュージシャンと
コラボする中で、
自分のスタイルを壊すように
ミュージシャンに提案していく
シーンはすごく印象深かったです。

自分のスタイルをどんどん変化
させてきたハービーだからこそ
できることだなーと思いました。

彼自身が創価学会インターナショナル
のメンバーであることは有名な話。
なので彼は仏教徒という事になりますね。
作中、彼がお経を唱えている
シーンまで出てきました。

結構びっくりしますが、最後までみると
何もおかしいことはないのです。
日本では宗教のイメージって
あまりよくなかったりしますからね。。

要は「何のため」という部分が大事なんだなーと。

これってアーティストに
限ってのことではないですよね。

仕事に行って、寝て、起きて、また仕事に行って。。。

というルーティンの中に生きているのです。
負のスパイラルに陥っても
仕方がないと思います。

だからこそ
「何のため」
って
最大のテーマかもしれません。

アートの世界って
内面を表現する世界なので
経験したものを、そのアーティストという
フィルターを通して発信していく。

この部分に目を向けてくるとアートって、
価値がないようで、
すごく価値のあるものだと思います。

今回はハービー・ハンコック ポシビリティーズ を
みた感想を簡単にまとめてみました。

UNEXTなど各種サービス
でみれますので是非是非
チェックしてみてください!!

 

文/唐沢 晋